メモログ

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文化=記号のブラックホール

文化=記号のブラックホール

文化=記号のブラックホール


世の中の争いごとの起源は言語と貨幣ではないかと思っておりまして、私自身「身分け」に近い状態において足るを知る心を持って生きたいと考えております。

私が学部生の時に読んだ本で、ある種の正しさを感じました。

「身分け」とは、ヒ卜ならヒト、サルならサルがそれぞれ持っている身体機能による世界の分節(同書P.124)であり、食欲について考えると、生きていくために必要なもののみを種毎の分節された世界の中で口にして足るに至ることといえるかと思います。

言葉と貨幣のが発達していない時代においては、海に住む者は海の幸を、山に住む者は山の幸を、お互いの幸にそれぞれが価値を見いだすことなく所謂「身分け」の範囲にて生活していたと考えられるでしょう。

言葉の発達により、それぞれの幸の価値を共有することが可能となり、貨幣の発達によりお互いの幸を流通させることが可能となる。やがて、本能的な欲求は、言葉と貨幣によって壊され、過剰に食を欲する欲望となり、間接的に貨幣を増やすことに執着するようになり、共通の価値を有する貨幣自体を巡って争いごとに至るというようなことを考えております。

ある種の厭世観を抱いていた当時の私に、世の中の捉え方の礎を与えてくれた1冊です。

熊沢蕃山の言う「世の中に何も迹(あと)を残さず、名も残さず終わる」という生き方もあると思うのです。